気を取り直して。

ブログ開設して

発症当日のこと書いて

放ったらかしてましたが

再開します。

 

というのも

さほど大した投稿はしてないものの

ブログアクセス数が2000を超えていたからです。

 

妻が脳梗塞を発症した後の私も

少しでも情報が欲しくて

少しでも見通しが持ちたくて

ネットで情報を調べ回り

脳卒中経験者のブログにたどり着いて

フムフムと大変参考になりました

 

家族が脳梗塞になって

途方に暮れて

このブログにたどり着く方がいるのなら

 

労を惜しまずに

日々を記録しておく意味があるなぁ

思いましたので

 

ボチボチ再開します。

脳梗塞発症当日

奥さんの発症から約3ヶ月

 忘れないように発症当日について私(夫)の記録

---

 2017年5月19日(金) 19:00に会社から帰宅

※この頃、奥さんは妊娠8週でつわりがひどく、会社を定時ダッシュして帰宅

 

ここ2, 3日つわりぐっとひどくなり

 

奥「弁当箱は?」

私「え?今日弁当なかったよね?」

奥「・・・あぁ、そうか。私、終わってるなー」

 

こんなやりとりもあった。

 

頭痛もひどいらしく

我慢強い奥さんが珍しく

 

奥「カロナール飲んでいいかな・・・」

 

と言う。

 

奥さんは頭痛がひどく、20:00に先に寝室へ

 

私は3歳の長男と1歳の長女と

ダンボールで工作遊び

 

21:00になり子供たちを寝かす準備(歯磨き、トイレ)

 

すると奥さんが3階の寝室から2階のトイレへ降りてくる。

「吐いてるなー」

と思いながら子供たちの歯磨き。

さぁ、トイレ行けーと言って長男をトイレへ

 

・・・あれ?トイレ開かないじゃん

トイレに引きこもって吐いてるんか・・・

 

仕方なく長男を1階のトイレへ連れて行く

 

トイレを済ませて2階へ戻ると

奥さんがトイレの前で仰向けにぐったり倒れている

※ここ2, 3日はトイレで吐いたあとトイレの前でぐったり倒れ込んでいられることがあり、またかな?と思っていた

 

私「おーい」

奥「・・・」

 

(・・・あれ?反応ない。大丈夫かな?)

 

私「水飲むか?」

奥「(かすかに頷く)」

 

ビビりながら水をコップに入れて持っていくと

呼びかけても反応なし。

 

(・・・これヤバい?)

 

強く肩を叩いて、名前を呼んでも反応なし

 

すると、急に手足を突っ張って痙攣

 

(・・・え?ウソでしょ?)

 

痙攣が止まるなりイビキ

 

(ヤバイヤバイヤバイ、テレビで見たけどこれはアカンやつや)

 

119で救急車

テンパっててなんて言って呼んだかは覚えていない

 

ただ救急車が着くまでの時間は

たぶん5分くらいなのに、時間が進んでないんじゃないの?っくらい長い時間だった。

 

玄関と倒れた奥さんとの間を右往左往・・・

 

救急車の音が聞こえる頃

奥さんが名前の呼びかけに応える

 

右手を挙げるが明らかに不自然

目も開いたが焦点が合ってない

 

救急車が到着し

奥さんは担架で救急車に載せられる

私は長女を抱っこひもに入れ、長男と救急車へ

 

救急車の中では奥さんが

救急隊員の質問(名前、生年月日など)に答えるがゆっくりした受け答え

 

左手足が動いていない

 

市内の救急病院へ

 

着くなり病院の医師から

CTとMRIについて説明あり

脳梗塞ガイドライン」の文字

 

(まさかと思ったけど最悪や・・・)

 

検査と脳梗塞の処置について妊娠への影響の説明あり

 

とても現実とは思えない。

検査を待つ時間もただただ長い

 

長女は抱っこひもで眠り

長男は病院の絵本で静かに時間潰し

これは本当に助かった

 

検査が終わると奥さんと顔合わせ

子供たちを心配

 

22:30頃  検査結果が出る

脳梗塞

血栓ではなく脳血管の攣縮により血流がうんたらかんたら

妊娠との関連も指摘される

 

  • 左半身麻痺
  • 左半則空間無視

の症状アリ

 

何を言われているのか全然分からない

言葉の意味はわかるが、とても受け入れられない

 

とにかく奥さんのお母さんへ電話で伝える

翌日来てくれるとのこと

 

奥さんのベッドが入院先の救急病棟へ移動

ベッド移動後は、点滴を受け眠っている

 

23:00頃

長男が

「帰らない!ママのところで寝る!」

と泣く。

 

説得してタクシーで家へ帰る

 

家に帰ると、現実であることを思い知らされる

 

奥さんが吐いたままのトイレ

子供たちと3人だけの家

 

 

子供たちを寝かしつけるが

とても眠れない

 

この夜は全く眠れなかった

 

 

 

 

歩く

妻の記録

 

新しい靴が届いた。

介護用のマジックテープの赤い靴。

 

自分が、こんな介護用品を、

こんな若さで使うとは思わなかったけど、

これで、今日からまた、一歩一歩だね。

 

可愛いパンプスも

かっこいい紐靴も

履けなくなっちゃったけど

動かなくなった左足で

地面の固さを感じられるようになった。


息子が、娘が、初めて歩いた日を思い出す。

 

「こっちよ!」

「つぎこっち!」

 

どんどん距離を伸ばしたい私。

 

で、歩いたら今度は


「まーくん!ソファでジャンプはしないよ!」

「そんな高いとこ登ったら危ない!」

「お家は走らない!」

 

と、怒鳴る私。


今になって子どもたちの気持ちがわかる。

難しかったね。

プレッシャーだったね。

できそうなことは、やってみたいよね。

ママが笑って見ていてくれるから、何でもできちゃう気がするね。

 

私も、日々プレッシャー感じながら

できないできない落ち込みながら

歩く練習してるよ。

 

できそうなことは勝手に挑戦して

看護師さんに怒られてるよ。

 

母として保育士として反省。

 

昨日病院に息子と夫が来てくれた。

初めてひらがなを書いた。

なんか英語も喋ってる。

 

大きくなったね。

遠くからだけど、ちゃんとみてるよ!

 

息子の初めて!を見せてくれようとした夫の配慮にも感謝。

 

これから先の方が長い人生。


ランドセル背負う日も

初めて彼女つくる日も

一緒にみてやろうね。

そばで。

 

「ママのおてて、げんきになってきたね。」

 

息子が言った。


左手、少し動けるようになってきた。

両手使ってバナナはむけなくなったけど、

子どもたちや夫の手の温かさを感じられるようになった。

一人で目薬させた。

 

まだまだできないこといっぱいで

いい歳して落ち込んでるけど

ここが底だと思って

今日も頑張るよ!

何でだろう〜♪

「この病気になった意味は?」

 

妻の問に、私は答えられない。

 

病気の意味を考えようとすると

 

「なんで?」

 

が止まらなくなる。

 

考えても考えても答えは出せないし、

頭の中がぐちゃぐちゃになって気が沈む。

 

だから私の答えは

 

「意味はない!」

 

になってしまう。

悩んでる妻への答えになってないな、とは思う。

 

でもテキトーなことは言えない。

(気の利いたことが言えれば良いんだけど、そこは勘弁してね)

 

今は

運が悪かったのだと思って

退院後の生活を見据えて

今を乗り切るしかない

 

時間と体力には限りがあるから

 

ゆるーく頑張ろう

 

 

 

 

転院〜リハビリ病院へ〜

妻の記録

 

7月13日、救急病院を退院した。

 

お世話になった看護師さん、

リハビリの先生、

お医者さん、

ありがとう、

さよなら。

 

ここで私、生き返って、いろんなこと教えてもらった。

思い出させてもらった。

ごはんの食べ方。

トイレの方法。

寝返り。

 

そして、

泣くこと、

笑うこと。

喋ること。

 

涙、涙の退院。

うれしいけど、

さみしい。

 

それから、リハビリ専門の病院に入院し、おばあちゃん達と、軍隊のような?!生活をしてます。

歩くこと、喋ること、歌うこと、赤ちゃんのような練習を繰り返し。

 

心配は我が子達。

長男が3歳、長女が1歳。

大事な時期にママがいない。

 

初めて保育園に行かされて、

不安かな?

疲れてるかな?

寂しがってるかな?

そんなこと考えてママは毎日泣いてます。

お熱の時も看てやれない。

 

息子は11月に、4歳のお誕生日を迎えたら、それまでお利口に待ってたら、ママ帰ってくる!って信じてる。

さみしいのか、パパにすり寄って夜寝てるんだって。

ばーばにワガママ放題してるんだって。

ごめんね。

 

4歳までには復活するからね!

ママ頑張るからね!

 

娘にとって、

初めての夏、

可愛い水着姿も、

初めてのプールの反応もみてやれない。

もうすぐ初めてお喋りするかな?

歌うたうかな?

 

そばで見てやれない。

 

成長を見てやれない。

 

くやしい。


慣れない育児と家事と仕事と私の甘えに振り回されてる夫にも、ごめんね。


若い看護師さんに
「旦那さんとどこで知り合ったの?」
「何歳で結婚したの?」
と、100回くらい聞かれた。


付き合ったばかりの頃、

結婚式のこと、

新婚時代、

楽しい記憶がよみがえってくる。

 

こんなになるまで、

その大きさ、ありがたさに気付けなかった。

 

そばにいてほしいとき、いつもそばにいてくれて

つらーい!って泣いたら涙を拭いて、お茶をついでくれる。

結婚式で、健やかなる時も病める時も!って誓ったやろ!って真面目なことを言ってる。

 

この人と結婚してよかったと、こんななって気づく。

「後で笑い話にしようね。」

それが合言葉。

一緒に頑張ろう!

 

私、生きててよかった。

「復活するからね!」

その宣言に必ず、

「待ってるよ」

と言ってくれる夫。

 

「おはよう」

「おやすみ」

「行ってらっしゃい」

を、言えるかわいい奥さんに戻るからね。

 

ありがとう

ごめんね

の毎日。

 

好きなときにトイレに行けて、

人の手借りずにごはん食べたり、

出かけたりできることの幸せに気付けた。

 

子育て中にしたかったこと、

テレビ見たり、

雑誌読んだり、

お昼寝したり、

ご飯をゆっくり食べたり。


今、そんな生活できてるけど、

そこに大事な人がいないと、

さみしいだけ。

 

そんなことにも気づけた。

 

今日も、涙を拭いて、ママは頑張ってます。

 

決断〜生死はざま〜

妻の記録

 

救急病院で、生死をさまよいながら処置され、なんとか生き返った私。(らしい)
さまよいながらもお医者さんの声が聞こえる

 

「これ赤ちゃん無理ちゃう?」

「血管見えないから点滴とれないけど」

 

 

赤ちゃんは中絶。

 


私の命を助けてくれた。

せっかく来てくれたのに、産んであげられなかった。

 

ごめんね。

 

奥さんか赤ちゃんか、そんな究極の選択を迫られた夫。

 

ごめんね。

 

夫と赤ちゃんに助けられた命。


集中治療室へ移ってからは少し記憶がある。

子供達はどうなってるの?

ご飯は?保育園は?

赤ちゃんの母子手帳は?

仕事休んだ電話は?

明日のパンは?

 

そんな日常の続きの夢をずっとみていた。

 

血圧計が一時間おきに私の腕でしまってる。

鼻からチューブが入ってる。

これ嫌。

心音がピッピなってる。

 

生きてる。

 

悪い事しないように手袋はめられてる。

とって!

外して!

手袋と鼻のチューブ外して!

ずっと訴えてた。

 

夢みながら。

 

突然現実に戻され、頭痛と尿意に襲われる。

うまく喋れない。

いたい!が言えない。

夜中に頭を痒がり叫び、イケメンの看護師さんに夜中にシャンプーさせ、恋に落ちる?

 

いい年ぶっこいて!!!

 

喉乾いたと暴れ、氷をなめさせてもらう。

満足できず、歯みがきに噛み付き、水気を絞り取ろうとする大人気ない30歳。

意識が戻ってくると、色々要求してた(らしい)

 

おしっこ行きたい!

お茶!

家帰る!

電話して!

 

モンスター患者

 

しかも毎朝、号泣。

 

子供達が心配!

 

赤ちゃんは??

 

ここはどこ?

 

今日はいつ?

 

 

そんな集中治療室の思い出。

 

もちろん歩けないからおしっこには行けないし、だす力もない。

お茶飲みたいけど、飲み込む力もない。

ご飯も食べられない。

目もよく見えない。

左手左足、ぜんぜん動かない!

 

唯一の救いは、低ーい声で少し喋れる。

言葉も覚えてる。

 

ここから私と家族の戦いは初まった。

 

看護師さんの名前を覚える。

私がここで生きていくためやったこと。

「○○ちゃん!バナナむいてー!」

「おトイレ付いてきて!」

「お茶ちょうだい!」

「あつーい!」

「さむーい!」

 

とにかく味方をたくさん作ってモンスター炸裂。

この頃にはトイレトレーニングもされ、オシメ卒業。

ごはんもお粥卒業で、自分で食べてた。

 

ただ、頭がしっかりしてるだけに色々辛い。

我が子どうなってるの?

今日参観日行きたい!

お熱あるらしいから看病しないと!

そんなこんなで毎朝号泣。

ベテラン看護師さんになだめられる毎日。

原因、現実

妻の記録

 

悪阻がきっかけで、脳こうそくに。

この若さで脳こうそく?!

赤ちゃんは??

とりあえず私は頭いたい!

どうにかして!!!!

 

夫と子ども達と共に救急車で救急病院へ。

 

そこから始まった。

 

30歳、忘れもしないだろう、どん底生活。

 

※同世代の人に、子育て中のお母さん達に伝えたいことがいっぱいあって、書いてます。あと、半分は自己満足と記録用に。