あの日から、1年半。退院して、1年。

妻の投稿

 

あの日から、1年半。退院して、1年。


家族四人で、自宅で暮らしています。
3階建で、階段必須!
NOTバリアフリー
高額請求にびっくりして、手すりは付けなかったけど、 この身体をこの家に合わせて、暮らしている。
トイレのドア開けたら、ここの隙間に手をついて、、
階段3段登ったら、ここの凹みを持って、、
って。
子どもたちは、
5歳と2歳になった。
何でも自分でするようになった。
よくお手伝いをするようになった。


病気になって、入院中ずっと、
家に帰って、家族で暮らすのが夢だった。


夢、実現!


車椅子は、使いたくないから、
使わない!
杖も、使いたくないから、
使わない!


こだわり、実現!


電車にのる!
泳ぐ!
旅行にいく!
やりたいことは、何でもやります。


週二回のリハビリも、もう
卒業して良いと言われている。


リハビリと、3カ月に一度のボトックス注射で、 痛みのコントロールしてます。
麻痺側が痛くて眠れないこともありますが、
精神科のお薬に頼ることなく、
普通に笑って、
時々泣いて、
元気に生きてます。

家族にできること

奥さんは最近

「障害を受け入れる」

という壁に直面しています。

 

もし自分が障害を抱えて生きていくことになったら?

 

ということを

少し考えただけでも

しんどくなって考えるのを止めてしまいます

 

それが自分のことで、

考えるのを止めたくても

目の前に事実としてあって、

現実逃避することもできない環境にある。

 

そんな奥さんの気持ちを

私が想像することはできないし、

想像してわかったつもりになることは

許されない

 

そんな時、

家族である自分に何ができるのか?

 

答えはないと思うのですが

 

今は、奥さんの悩みを少しでも共有して

寄り添っていくことが大事だと思っています。

 

将来、この苦しい時期を振り返って

思い出話ができるように

 

一時帰宅

10/7(土)はみんなが待ちに待った奥さん一時帰宅

 

朝から長男はハイテンションで

感情コントロールに四苦八苦(-_-;)

 

一時帰宅が入院後に初めてということもあり

今回は理学療法士の先生が家に来て

階段やトイレの補助のレクチャーあり

 

また

調子に乗ってケガをしてしまっては

今までの苦労が水の泡・・・

ということで

室内の移動は極力車いすを使ってねー

トイレの前は狭いので杖ついて歩いてね

とのことでした。

結局、車いす使わなかった(!)けど・・・

 

また、家での状況ですが

  • 階段(手すりあり)ではほぼ介助なしで昇降
  • トイレ(手すりなし)でほぼ介助なし
  • 食事のときの床への立ち座りができた(隣に壁必要)
  • 玄関の段差を自分で歩行(杖・装具あり)
  • 室内でも杖ありで自分で歩行(杖・装具あり)
  • 歩行は短時間のみ(時間が伸びるとふらつく)

でした。

 

急性期病院では

「階段は正直厳しいかな・・・」

と言われていたため

 

この回復の状況はうれしい!

 

リハビリ病院に転院してからの回復具合は

正直に言って予想をはるかに上回っています・・・。

(当然回復してほしい希望は持っていましたが)

 

奥さんも

久しぶりに家で子供たちと楽しそうに過ごしていました

やりたいことがたくさんあったのですが

半日程度の一時帰宅では足りなかったです

 

奥さんは長男に

次回の一時帰宅では

「一緒にお風呂に入ろうねー」

と約束をしていました。

 

・・・ちょっと!

見切り発車すぎません?(笑)

 

でも息子も楽しみにしていますし

奥さんもそれを楽しみにリハビリするのかなー

 

※補足

ちなみに病院では

お風呂に一人で入れるようになった(要見守り)ので

次回の一時帰宅を楽しみにしておきたいとおもいます。

入院当初

5/19に奥さんが脳梗塞で倒れて

入院したわけですが

 

家族として何がキツかったかって

病態のピークがいつなのかわからない

ってことでした

 

 脳梗塞の原因 - ありがとうの一歩〜ママの挑戦〜

上記のエントリでも軽く触れてますが

脳梗塞の原因が血管の攣縮(※)であり

一般的にその症状がピークを越えるのに

約2週間はかかるとのことでした

※血管がウインナー状になる病態

 

治療としては

血管を拡張して

血液をサラサラにして

ひたすら病態が収束するのを待つ

 

待っている間に脳梗塞が拡大する可能性もある

 

という状況で

毎日ご飯も食べられたもんではありませんでした(・・;)

 

実際、入院から3日後には

意識レベルがかなり悪化し

MRIを取ると脳梗塞の原因となった血管とは

別の大きな血管の血流が悪くなっている

ということもありました。

 

この時は病院で緊急の処置をしていただき

脳梗塞の拡大は回避できました

(本当にありがとうございましたm(_ _)m)

 

その後、救急病棟の集中治療室(!)に移動し

細かく状態がチェックされることになり

(最悪のケースに備えて気管挿管もできる、と説明されたときは色々ビビりました)

 

妊娠の継続はリスクが高い

ということで中絶手術を受けるということになりました

 

この後、3週間程度

奥さんは意識を朦朧としながら

寝たきりで過ごし

 

病態が落ち着きを見せました。

 

 

 

 

我が家の闘い

妻の投稿


私が倒れて4ヶ月。

私が死にかけて4ヶ月。

お腹の赤ちゃんに助けてもらって4ヶ月。

 

4ヶ月生きた。


身体が動かない。

目が見えない。


頭はいろんなことをよく覚えてるし、考えられるけど

わかるのは、前とは明らかに違う自分。


もういい。もう戻して。

前の私にもどして!


子育てが辛い

家事が辛い

悪阻が辛い

 

そんな贅沢なことに悩んでいた

4ヶ月前の元気なママの私にもどして!

 

子どもが熱を出した

子どもの保育園の参観日

こんな所で寝ている場合じゃない。

行かなくちゃ!

小児科に、連れて行かなくちゃ!

 

やりたいことはいっぱいあるのに、

できない。


子供達は3歳と1歳、ママが必要な時期。

さみしい思いしてるかな?

泣いてないかな?

 

3歳の息子は

11月に4歳の誕生日を迎えたら

ママが帰ってくると信じてる。


おりこうにしてたら

ママ帰ってくるって、信じてる。

 

私も、そう約束してる。

守れるか守れないか

わからない約束をしてる。

悪いママ。

 

この4ヶ月、私たち家族は闘った。

みんな、闘った。

 

私は、病気と闘った。

最初は、食事もトイレも管だった。

それが嫌で、頑張った。

食事は自分の手で、固形物を食べられるようになった。

 

トイレは、車イスで一人で行けるようになった。

麻痺の左手で手すりを持ち、頼りの右手で片

手で、ズボンを下ろし、拭いて、また片手でズボンを上げる。

たかがトイレ されどトイレ


スリリングなトイレタイムにも慣れたあたり

やはり4ヶ月。


鼻から入る栄養剤が抜け

おしっこの管が抜け

点滴が外れ

やっと自由になった!


・・・だけど、私の身体は動かないし、目は見えない。


左側が、どうにも見えない。

車イスに乗っていると

一見すると元気な人。

でも

私は歩けないし

手も動かないし

目も半分見えない。


なんで私なの?

誰かわかって。

誰か代わって。

そうやって、毎日泣いていた。

 


それを毎日見ている夫

夫も闘っていた。

私にかける言葉を探し

私の涙をふき

私の足を拭く

毎晩忙しいのに

疲れてるのに来てくれても

そんなことをさせる悪い奥さん。

この人と、結婚してよかった。

こんな身体になって

こんなどん底に落ちないと気付かないあたり

やっぱり悪い奥さん。

「おはよう」 と「おやすみ」を

メールでしか言えないのがもどかしい。

ネットスーパーでビールを注文するくらいしか

恩返しの方法がわからないのが

悔しい。

 

 

久しぶりに会った息子が

「ママかわいい!」

と、やって来る。


知ってる限りの、私が喜ぶ言葉と共に

ちょっと、力を手加減してやって来る。

我慢していたんだね。ごめんね。

ママを喜ばせようとする、

でも病気のママに気を遣う3歳の子に、

泣けてくる。

 

お友達がママと公園に来ているのを見て

お友達のママが保育園のお迎えに来るのを見て

さみしかっただろうな。

 

毎日隣で寝ていたのに

ある日から隣が抜け殻になって

さみしかっただろうな。


私も3つの抜け殻を求めて

毎晩さみしかったよ。

 

 

このおばさんだぁれ?

と言わないけれども、じっと見る娘。

もう抱っこもできなくなったママのこと、忘れちゃったよね。

ごめんね。

 


みんな、頑張った。

この頑張りは、誰にもわかってもらえないかもしれないけど、

私は、大きな声で言えます。


「みんな、頑張った」


まだまだこれからだけど、

家族4人、みんな元気に生きてる。

大丈夫!みんな、強くなったから!

 

まだやり直せるよ。


また、スタートラインに立てるよ。

 

脳梗塞の原因

何で奥さんが30歳という若さで脳梗塞になったのか?

 

という話。

 

可逆性脳血管攣縮症候群(略称:RCVS)

かぎゃくせいのうけっかんれんしゅくしょうこうぐん】

 

というモノが脳梗塞を引き起こした。

 

①何で可逆性脳血管攣縮症候群になったのか?

なんとその原因は「不明」!

 

急性期の病院では

「妊娠の影響が強く疑われる」

とのことでしたが・・・

断定できる状態ではないようです。

 

 

②可逆性脳血管攣縮症候群って何だ?

脳の血管がウインナーみたいにくびれる(攣縮)状態が一時的に続いて

一定期間すぎると元通りの血管になる

という病態を総称したもののようです

(雑な説明でスミマセン)

(間違ってたらもっとスミマセン)

 

血管のくびれがひどくなり

血流が止まって

脳梗塞が引き起こされた

 

というのが今回の脳梗塞の原因でした

 

奥さんは飲酒・喫煙はしませんし

夜更かしもせず早寝早起きの

模範的な生活リズムでした

 

真面目で

頑張りすぎるところはありましたが(・・;)

 

原因不明の病態で脳梗塞に!・・・って

とても納得できる話じゃないですが

 

今はまた家族みんながそろって

みんなで支え合って暮らせるように

家族みんなで頑張ろう

 

 

 

もう4か月 されど4か月

妻が脳梗塞を発症してから

4か月が過ぎてました

 

「そんなに経ったのかー」

 

と思う反面

 

「やっと4ヶ月かー」

 

と思うほど、この密度の高い時間を過ごしています。

 ※特に最初の2週間は生きた心地がしなかった・・・。

 

妻の状態についてメモ

 

発症直後

意識障害あり(意識レベル2桁/呼びかけられる、刺激を与えられると覚醒する程度)

・構音障害

・左半側空間無視

・左半身麻痺(手足ともにレベル2)

 

現在

意識障害なし

・構音障害(かなり改善してると思う)

・左側半盲(左半側空間無視は改善)

・左半身麻痺(手足ともにレベル4)

・身障者用トイレではほぼ自立(手すりの向きの問題はありますが)

・杖+装具での室内歩行練習中

・手すりをもっての階段昇降練習中

・外出は車椅子

 

です。

 

今月には子どもの保育園のイベント(保育参観、運動会)に参加するために

病院から外出できるようにまでなりました。

 

4カ月経って、こうやって書くと

あっさり過ぎてる感じがしてますが

もっと家族それぞれの格闘がありましたので

それはまた別の記事に記録していこーかなー。